エリザベス・アーデンとは?
1878年にカナダ出身、本名:フロレンス・ナイチンゲール・グラハム。エリザベス・アーデンは常に時代の最先端にいました。彼女は流行の先を読み、新しい技術が世に出るとそれをじっくり検証し、そしてお客様が求めるものを的確に提供してきました。エリザベスは世界の女性たちにインスピレーションを与え続ける存在でした。美容業界だけでなく、生き方そのものからも真のパイオニアとしての存在だったエリザベス・アーデンは幼い頃から、革新的アイディアを創造する力を持った人でした。以前は“メーキャップ”が許されるのは舞台上だけでしたが、エリザベスは、アメリカの女性たちが古いビクトリア時代からの束縛から逃れたいと思っていることに気がついていました。これも、そうしたアイディアの一つでした。エリザベスはパリから、ルージュ(赤い口紅)と特別なティントパウダー(おしろい)を持ってきてアイメイクという概念を紹介し、やがて彼女の美容院ではアメリカ初の「イメージチェンジ」の施術をスタートしました。
エリザベスは肌の色味に正確に合った「ファンデーション」を創造しただけでなく、天賦の色彩感覚で、目元と唇、頬そしてネールカラーの色をすべてコーディネートする「トータルルック」というコンセプトを初めて提唱した人でもあります。それだけでなく、エリザベスは、女性が化粧をするという事を世間に認知させ、メーキャップを上流階級でのファッションの必須アイテムとさせるようになったのです。
見習い看護婦時代からエリザベスは、単なるマスキングでなくて肌に本当に良いスキンケア商品を作る日を夢見ていました。エリザベスはトータル・ビューティーという分野での最初の成功者です。トータル・ビューティーとは、健康で美しい肌からスタートし、肌に加齢現象が起きないようにケアすることで得られる美です。エリザベスは「女性は自らの美しさのひとかけらも失うべき理由は一つもない」との信念を持っていました。
彼女はスキン・クレンジング、トーニングや栄養補給の重要性を強調し、クレンジングクリームとスキンローションを開発しました。これが、スキントリートメント商品の最初のものとなりました。
時代とともに、商品数は技術の進歩と必要性に応じてラインナップを増やしていき、1920年にはエリザベスアーデンだけでも100種類以上、総製品数としては約600ものアイテム数となり、世界で最も製品数の多い化粧品メーカーとして注目を集めていました。
特にユニークなのが、彼女が本来自分のサラブレッドの名馬のために開発したものが元になっている、エイトアワークリーム。このクリームを手につけて馬に塗っていた時、その手がすべすべになる事に気付いたエリザベスは、そのクリームを商品化。瞬く間に大ヒットを記録する商品となったのです。
エリザベス・アーデンは、第二次世界大戦の開始とともに、アメリカの女性のニーズが変化しはじめていることに気付きました。それは女性が労働者として働き始めた時期のこと。戦争の経過のなかで、エリザベスはキャリアを目指す女性にとって、適切なメイク法とワードローブについて教え示すようになりました。実際に軍に参加している女性のために、彼女はMontezuma Redと名づけた赤の口紅を作りました。この口紅の赤い色は、女性用軍服の赤い縁取りとぴったり合うよう選ばれたものでした。
全ての商品は、エリザベスが完全に品質に対する責任を負い、成分から包装に至る全ての要素を彼女が完全に満足して初めてその製品が世に出ることになっています。